作家内田康夫さんの逝去に際して思うこと

  • 2018.03.21 Wednesday
  • 17:12

    作家の内田康夫さんがこの3月13日に亡くなった。内田さんと言えば、ルポライターの浅田光彦を主人公にした『後鳥羽伝説殺人事件』をはじめとしたミステリーシリーズの作者として有名だ。


元コピーライターの内田さんは1980年に推理小説『死者の木霊』を自費出版、これが朝日新聞の書評に翌年取り上げられたことから作家としてデビューした。2008年に日本ミステリー大賞を受賞し、これまでに163編の著作をものにしてきた。

 

    私は内田さんと軽井沢町で一時関わりを持った人間である。当時のことを以下に思い出すまま記してみたい。

 

私たち一家が東京から軽井沢に転居したのは、1987年の6月である。ルポライターとして教育問題や環境問題の本を何冊か書いていた私は、仕事場を都会から緑の自然の中に移すことを決意したのである。


そうした脱都会の自由人の先達者が内田康夫さんや、エッセイストの玉村豊男さん、彫刻家の船山滋生さん、それにやはり本ブログに訃報を記した作詞家の山川啓介さんたちだった。創作活動の場を東京から郊外に移した点で、彼らはみな同じ立場にあった。私も自然あふれる郊外で、のびのびと創作活動に励んでみたいと考えたのだ。


    軽井沢は夏の別荘地として知られていたが、ここに夏と冬の年間を通して住み、自らの生活の拠点にするという発想は当時かなり斬新なものだった。まだインターネットも普及しておらず、新幹線も開通してなく、東京との距離が問題とされていたからだ。唯一電話回線を使ったFAXが原稿を手渡ししなくても済む文明の利器という状況だった。内田さんや玉村さんたちは、軽井沢の別荘地に家を建て、意欲的な作品を次々発表していた。私は彼らに触発され、妻の反対を押し切り、同じように別荘地の中に居を移したのである。

 

    ゆっくりと自然の中で原稿を書く生活を送るはずだった私が、ゴルフ場反対運動の先頭に立つことになった経緯は、以前のブログに何度か触れたのでここでは省くことにする。「軽井沢を開発から守れ」との掛け声のもと環境問題に関わるきっかけを与えたのは、玉村豊男さんと船山滋生さんだった。両人に加え立教大学教授の名取四郎さんが発起人となり、1988年春『緑と子供を守る会』という自然保護団体が発足。私はこの会が発行する機関誌『風通信』の編集長役をおおせつかったのである。1989年6月にこの会を発展させ、玉村さんが名付け親となってゴルフ場反対の会『軽井沢水と環境を守る会』が出来て、私が代表になったことも以前のブログに触れたとおり。


   内田康夫さんの家をゴルフ場反対の署名用紙を持って訪ねたのは、その頃のことである。内田さんには妻の早坂真紀さん(作家)とともに、反対運動のチラシや署名用紙に名前を出すことをこころよく了承していただいた。


    西武グループが計画したゴルフ場の反対運動に勝利するという成果を得た私は、その後別荘地居住者として初の町議会議員に当選、議員として活動することになった。議員時代に中軽井沢の別荘地内で愛犬を散歩している内田さんと何度かお目にかかり、挨拶をかわした記憶がある。

 

    その後ひょんなことから私は内田さんにつながることになった。つなげてくれたのは、軽井沢町の隣りの御代田町に住む主婦の山田風見子さんである。彼女は地元のタウン誌のフリーライターとして活躍していた。私の妻がやはりタウン誌の記者をやることになり、妻を介して彼女と知り合うことになったのである。山田さんは当時ミステリー作家をめざして修行中だった。1992年に『ミステリーマガジン』が主催する「第3回ハヤカワ・ミステリ・コンテスト」で最優秀作に彼女の書いた小説「ブルースを葬れ」が選ばれるという出来事があった。彼女は内田さんにお願いして、秘書兼弟子という立場で小説を学んでいた。当時山田さんを介して、さまざまな内田さんに関するエピソードを私は耳にすることができた。


「先生はね、町のことをいろいろ聞かせてほしいと私にいつもせがむの。若い人が集まるお店の話をすると、そのお店がいつの間にか先生の推理小説の舞台になっているんです。私と交友関係のある人について『こんな人がいます』と話すと、先生の推理小説の中にそれと思われる人が何人も登場しちゃって……。知り合いの町の人たちが、殺人事件の犯人役にされたり、あるいは被害者になったりするのは、何とも不思議な気分ですよ」

 

    そんな話を彼女から耳にした記憶がある。のちに内田さんはベストセラー作家となり、押せも押されぬミステリー界の大御所となった。

 

    軽井沢町には小説の主人公の名前をとった『浅田光彦記念館』がオープン、内田康夫財団まで設立され、開発反対運動に関わる私たちとは縁遠い存在となってしまった。

 

    私自身はその後、長野五輪にまつわる自然破壊に反対する運動にのめり込み、さらに新幹線建設反対の立木トラスト運動を起こすことになった。町の名士となった内田さんとすれば、縁遠い人物に思えたのかも知れない。今回訃報を聞くまで連絡をとることは皆無だった。図らずも名探偵の浅見光彦は私と同じルポライターという立場にある。しかし、浅見光彦が小説の中で政治的な発言をしている描写を見た記憶はない。私からすれば政治的な発言をしないルポライターは、どうしても認められないのだが……。内田さん自身に関しても新聞の投書でたまに政治的発言をしているのを見たりした記憶があるものの、運動に関わったという話は聞いていない。

 

    ミステリー界の大御所としての地位を不動のものにした内田さんには、松本清張のように社会派推理作家として活躍してほしかった。そう考える読者は私ばかりではあるまい。内田さんは電子画面に登場人物、舞台などの設定をあらかじめ入力し、型にそってストーリーを構築していく典型的なパソコン作家だった。そのため一度読むとどの作品もパターンが同じで面白みがない、との声も一部の読者から耳にする。それだけに、軽井沢の文化人が立ち上がったあの時から、のちも社会運動にもっと関わっていただけたなら、活躍の場も広げられ、さらに大きな作家になり得たのに、そう思うと残念でならない。いずれにしても内田さんの逝去にこころより哀悼の意を表したい。

コメント
朝日新聞の3月19日付けの内田さんの訃報記事には、作家森村誠一さんのコメントが載っています。「素晴らしい仲間を失ったことが残念を通り越して悲しく悔しい」との森村さんの談話は感銘的です。森村さんは「私にとっては小説家の模範のような方でした」と語っています。内田さんの偉大さがわかるコメントです。森村さん同様に社会的な発言を内田さんがもっとされていたなら、と思うと誠に残念でなりません。今回も様々なことを考えさせてくれる良いブログでした。
  • 推理小説好き鎌倉人間
  • 2018/03/21 5:40 PM
上記部分が浅田光彦となっています、正しくは浅見光彦です。
  • 信濃のコロンボファン
  • 2018/05/25 2:17 PM
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

フリースペース


岩田かおる

コメントについて

ハンドル(名)は自由ですが、多重使用は避けて下さい。また、コメントへの投稿は管理者が確認するまで「管理者の承認待ちコメントです」と表示されます。

selected entries

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM